「テストでいい点を取ったら、ご褒美をあげよう」
子どもに勉強してほしくて、そんな声かけをすることがあります。
もちろん、子どもには勉強ができるようになってほしい。
できればいい学校に行って、将来困らない仕事に就いてほしい。
親なら、そう思うのは自然なことだと思います。
でも最近、私は考えるんです。
100点を取らせることより、大事なことがあるんじゃないか?
- 「勉強しなさい」には、ちゃんと理由があった
- マリオカートだと思っていたら、どうぶつの森もあった
- 同じマリオカートを選んでも、キャラが違う
- 「最後までやる」が全員の正解とは限らない
- 80点は「評価」ではなく「データ」
- 親が渡したいのは「人生の攻略本」じゃない
「勉強しなさい」には、ちゃんと理由があった

まず私は、これまでの教育を否定したいわけではありません。
戦争や戦後の物不足を経験した祖父母世代にとって、
「食べられること」
「仕事があること」
「安定して暮らせること」
は、今以上に切実な願いだったと思います。
戦後、日本は復興し、高度経済成長へ向かいました。
人口が増え、企業や工場が大きくなり、多くの人が組織の中で力を合わせることで、日本はどんどん豊かになりました。
その社会では、
勉強する
→ 進学する
→ 会社に入る
→ 長く働く
→ 安定した収入を得る
というルートは、かなり合理的な成功戦略でした。
だから祖父母や親たちは、
「ちゃんと勉強しなさい」
「いい学校に入りなさい」
「安定した会社に入りなさい」
と子どもに伝えた。
それは、子どもを苦しめたかったからではありません。
自分たちが、その方法で実際に生活を豊かにしてきたから。
これは、前の世代の「成功体験」でもあるんです。
だから、
「昔の教育は間違っていた」
とは思いません。
むしろ、その攻略法でここまで連れてきてくれた。
ありがとう、なんです。
ただ、一つだけ考えたい。
もし、ゲームのルールそのものが変わってきているとしたら?
マリオカートだと思っていたら、どうぶつの森もあった

以前の社会をゲームにたとえるなら、「マリオカート」に近かったのかもしれません。
みんながある程度、同じコースを走る。
テストの点数や偏差値という順位があって、いい学校、いい会社というゴールが見えやすい。
同じコースなら、速く走れる方が有利です。
だから、
「もっと勉強しなさい」
「もっと上を目指しなさい」
は、理にかなっていました。
でも今は、ゲーム自体が増えています。
マリオカートだけじゃない。
どうぶつの森もあるし、マイクラもある。
会社員になる人もいれば、専門職、フリーランス、起業、複数の仕事を組み合わせる人もいる。
もちろん、会社員が自分に合っているなら、それは素晴らしい選択です。
大事なのは、
「それしか知らないから選ぶ」のか、たくさんの選択肢を知ったうえで「私はこれがいい」と選ぶのか。
そこには大きな違いがあると思います。
同じマリオカートを選んでも、キャラが違う
さらに、子どもがパパと同じ「マリオカート」を選んだとしても、同じ攻略法でいいとは限りません。
たとえばパパがクッパで成功したとします。
クッパは重量級。
最高速を活かした走り方が得意です。
だからパパは、
「こう走るんだ!」
「このラインが一番速い!」
「俺はこれで勝った!」
と教えたくなる。
でも、子どもがキノピオだったら?
軽量級には軽量級の強みがある。
加速や小回りを活かした方がいいかもしれない。
そこでキノピオに、
「クッパと同じ走り方をしろ!」
と言っても、
「父ちゃん、俺クッパじゃねえんだわ(笑)」
なんですよね。
勉強も同じです。
一人でコツコツ問題集を解くと伸びる人もいる。
友達と問題を出し合うと覚える人もいる。
人に教えると理解が深まる人もいる。
図にすると頭に入る人もいる。
短時間でガッと集中する方が得意な人もいる。
キャラが違えば、攻略法も違う。
じゃあ、自分はどんなキャラなのか?
それを知るヒントの一つが、「ストレングスファインダー」「本田式認知特性テスト」「WISC」「K-ABC」などの検査バッテリーや、ツールだと思っています。
「最後までやる」が全員の正解とは限らない
たとえばストレングスファインダーの「責任感」が強い人なら、一度決めたことは最後までやる。
毎日コツコツ続ける。
途中で投げ出さない。
それが大きな武器になるかもしれません。
でも子どもが、「着想」や「活発性」が強いタイプだったら?
「やってみたい!」
と始めて、
「なんか違った!」
とやめて、
「じゃあ次!」
とまた始める。
いろいろやり散らかした末に、
「あ!!これだ!!」
を見つける人かもしれません。
そんな子に、
「一度始めたんだから最後までやりなさい」
と言い続けたら、その子の探索する力まで止めてしまうかもしれない。

だから私は、子どもの「内側」を一番大切にしたい。
「やってみたい」
「知りたい」
「できるようになりたい」
「なんか面白い!」
という内発的な動機がエンジン。
点数やご褒美、競争などの外発的な動機は、エンジンではなく、ちょっとしたブーストアイテム。
使うこと自体が悪いとは思いません。
でも、外からブーストをかけ続けた結果、本人の「やりたい」が消えてしまったら。
そこで一度、親が引き下がる勇気も必要なんじゃないか。
そう思っています。
人は、内発で始めたことに褒美(外発)を入れることで、興味がなくなってしまったという研究もあるそうです。外発は、使い所によっては、薬にも毒にもなるので、注意が必要です。
80点は「評価」ではなく「データ」
だから、テストで80点を取ったとき。
「なんで100点じゃなかったの?」
だけで終わらせたくない。
代わりに聞いてみる。
「今回、どうやって勉強したの?」
「どこはうまくいった?」
「どこで詰まった?」
「何をしたら覚えやすかった?」
「次は何を変えてみる?」
すると80点は、
子どもの価値を測る数字ではなく、自分の攻略法を見つけるためのデータ
になります。
「私は80点しか取れなかった」
ではなく、
「私、人と問題を出し合うと覚えやすいみたい」
が残る。
私は、こっちの方がずっと大きな財産だと思うんです。
親が渡したいのは「人生の攻略本」じゃない
「子どもに魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよう」
という言葉があります。
でも、私はもう一歩先まで考えたい。
「この竿を使いなさい」
「この場所で釣りなさい」
「こうやれば釣れるから」
と、親の釣り方をそのまま教えることでもない。
自分はどんな人間なのか。
今いる環境はどんな場所なのか。
何を試したらうまくいったのか。
うまくいかなかったら、次はどうするのか。
自分を観察して、試して、失敗して、修正して、自分なりの攻略法を作る力。
親がいなくなったあとも残るのは、きっとこの力です。
私たち親が作った「人生の攻略本」は、子どもが大人になる頃には古くなっているかもしれません。
だから攻略本を渡すのではなく、どんなゲームに変わっても、自分で攻略法を作れる人に育てる。
それが、これからの子育てで大切なことの一つなのかもしれません。
自分なりの攻略法を作る方法。まずは、親の自己理解から。