さわ先生のお話まとめと感想です。
- 不登校と発達障害
- 発達障害、発達ユニーク
- 発達ユニークを広めたい。
- 親が子どもを障害という枠に入れたくなくて児童精神科のドアを情緒学級のドアを叩きにくかった。
- さわ先生が親の心配と気づいた時
- 発達障害と診断されたら、親が自分を責めてしまうことが多い…どうすれば?
- さわせんせいは教育ママだったころから、どうやって切り替えたの??
- 親が思っている子どもの様子、子どもが本当に思ってることって乖離している、子どもの心の声、ずれてる所は??
- さわ先生の所に来る方はどこにゴールを設定してるの?
- 親として、反省している人がいて、こっからアプローチ変えてみようってなったら、どんな接し方する?
- 明日を生きたいと思う人を増やしたい。
- 感想
子どもが本当に思っていること 児童精神科医が「子育てが不安なお母さん」に伝えたい
不登校と発達障害
不登校の子に発達障害は多いけど、不登校だからって発達障害というわけではない。
そもそも不登校が問題か、児童精神科にかからなきゃいけないと思ってない。
先生は、完全不登校5年目。完全に自分も受け入れられている。
発達障害というのは、少数派。定型発達を多数派として、少数派になってるだけ。
本田秀夫先生(精神科医)、少数派の種族と言っている。
そもそも社会生活にうまく適応できないという診断基準である。=不登校にはなりやすい。全員がなるわけでもない。
発達障害、発達ユニーク
現在、発達障害ではなく、医療現場では「神経発達症」という名前になっている。
呼び方診断はどうでもいい。
双子でも同じ発達経路をたどる人はいない。
全人類発達ユニークである!!
発達障害は個性だっていうと傷ついたっていう親御さんがよくいる。問題じゃないと言われてるようで傷つく。
問題か問題じゃないかは自分達で決めればいい。
発達のユニークさをとにかく受け入れて、その子をとりまく環境が、今日よりも明日生きやすくなる、よくなるようにサポートしていく。
発達ユニークを広めたい。
自己紹介の時に娘さんが発達障害で、超絶発達がユニークで~っていったらしっくりきた。
何も間違いじゃない。全員ユニークだと思っている。
その言葉素敵だなとその言葉いいですねって言ってもらっている。
発達気になる子とか、正直呼び方どうでもいいなって思ってる。
呼び方なんかより、正しく理解すること。
誤解しない事。障害って言う言葉に不安になりすぎない。
発達障害って診断うけても、十人十色。何に困ってて、どういうサポートを受けるべきかが一番大事。生きるためにどうするか!?
発達障害診断されたら終わりだと思ってるお母さんいるでしょ?
お先真っ暗だって思ってる人いるよね。
障害って言われたら、障害者になるのかなって思ってる人もいる。
障害って言われたら、手帳取れるわけじゃないし。障害認定を受けられるわけではない。
わからなくて当然。知ろうとすることが大事。
発達障害って診断されたからって太郎くんが太郎くんであることは変わらない。何かが変わるってことはない。
診断を受けるってことは、誰かが何かに困っているから診断を受けるってなる。
その困りごとを解決するために、どうやって捉えて、それにあった支援方法をやるべき。
親が子どもを障害という枠に入れたくなくて児童精神科のドアを情緒学級のドアを叩きにくかった。
子どものことで何か心配になった時に、どこまでが親の心配不安で、どこからが子どもの問題なのか?
もしかしたら、親が心配してるだけで、子どもは問題に思ってないかもしれない。
親が不安になっちゃだめってことじゃなくて、自分が通ってきてないから、不安。
見通しがわからない。人は見通しがわかれば安心する。
どこまでが親の不安で、冷静に客観的に身極めて、親御さんをケアするのも児童精神科の役割。
ごちゃまぜになりそうな気がする。冷静に線引きするのが医者の役目。
さわ先生が親の心配と気づいた時
娘を小学校受験させようとして、落ちた。自分と同じレールに乗せたら安心だと思った。
安心したかったんだなと思った。
自分の通った道を行けば、なんとなくの見通し、こういう大学にいく子が多いなとかわかるから、周りの友達とかもこういう子がいて~とか、なんとなくそういうレールに乗るのかな、って見通したついてた。
自分が安心したかったんだなって気づいた。
自分が、私立の小学校に入ってて公立小学校にいったことなかった。
行った事なかったから。不安だった。
蓋をあけたら、自分が何を不安に思ってたのかなって反省した。
何か子どもにさせようとか、子どもにさせたいって思った時に自分が安心したいからそれさせたいんじゃない?って客観的に立ち止まってみるのが大事。まさに、それを教えてくれたのが、発達障害で不登校になった娘だった。
人生のかじ取りは子ども自身にさせること。
日本人が幸福度が低いのは、自己決定できてないから。
大人になってからじゃなくて、2歳の子どもにもどっちがいい?と聞く。
ママはこう思うけど、あなたはどう思う?って声かけしていく。
発達障害と診断されたら、親が自分を責めてしまうことが多い…どうすれば?
先天的なものだから、どうしようもできない。
育てかたのせいではない。責める必要は全くない。
それよりもこれからどうやって生きていこうか?
笑顔を増やすことが大事。
さわせんせいは教育ママだったころから、どうやって切り替えたの??
価値観変えるのってインパクト必要だったと思う。
子ども生んだ時、母と真逆の子育てをしたいと思った。
子どもに絶対やりたくないと思った事、学歴信仰、比べるとか。
無条件に子どもを愛せる母になりたい。
公文とかやらせて、計算とかできると、もっともっと…っていう自分がいて、はっとした。
学校いけなくなって、不登校になってきた時がターニングポイント。
学校にいけなくなった時に、親は「学校にいかせるべきだ」と言っていた。
人を救ってる場合じゃないと親から言われた。
はじめて親に反抗した。絶対そうじゃない。
精神科医としてアイデンティティを奪われたら、怖かった。
開業すると選択した。
開業して、自分のクリニックに娘が来てもらえるように。
親に宣言した。仕事絶対やめない!!
その時から、自分の意志で自分の人生を生きられた。
それまでは親の顔色を窺ってたいい子ちゃんだった。
自分が生きられるようになってはじめて、娘は娘の生きたいようにいきていったらいいよねって思えた。
親が思っている子どもの様子、子どもが本当に思ってることって乖離している、子どもの心の声、ずれてる所は??
自分の母親は深い愛情でいい教育を与えたい。将来を期待する、彼女なりの愛し方だった。
私にとっては過度な期待だった。親の期待に応えられない自分はダメだと思ってた。今振り返ればそんなことない。しかし子どもの時は思えなかった。
大事なのは、子どもの自己決定権を奪わない。主体性を奪わない。
所有物ではなく、子どもを一人の人として、尊重し合えること。
さわ先生の所に来る方はどこにゴールを設定してるの?
ゴール設定はその子の中にある。私の中にあるわけじゃない。
その主体性を奪わないように。
親に抑圧されている子が多い。教育熱心な親に多い。
何がしたいか?がわからない子になる。
その子の中の困ってることききだして、診察質の中だけでも安心安全の場なんだよ。どんな感情でも出していいよ。どんなあなたでも受け入れるよ。
親として、反省している人がいて、こっからアプローチ変えてみようってなったら、どんな接し方する?
もし本当に反省してるなら、素直に開示する。
今まであなたのことを期待したり、あーしろこーしろって言ってたけど、間違ってたと思う。だからこれからはこうやってしていきたいと思う。お母さんにどうしてほしい?って聞いてほしい。
お母さん子育て迷ってる。
辛いことも吐き出していい。反省してるんだよね、ごめんね。
親子ともども不完全さを受け入れる。完璧じゃない。不安になってもいい。お母さんだって、成長していく。不完全さを受け入れて、穏やかに生活することが大事。
その穏やかな環境は、子どもの安全基地になる。
娘が私に教えてくれたこと
学校とは
母とは
生きるとは
子どもの心の声
子どもは安心したい
怒らないでほしい
自立したい
信じてほしい
見守ってほしい
受け入れてほしい
お母さん
ただそばで笑っててくれるだけでいいんだよ
子どもが本当に思っていること 児童精神科医が「子育てが不安なお母さん」に伝えたい
8月に新刊も発売されるそうです!!
児童精神科医が子どもに関わるすべての人に伝えたい「発達ユニークな子」が思っていること
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明日を生きたいと思う人を増やしたい。
無条件に生きていていい。
きっと大丈夫。
溢れた情報を取捨選択することが大事。
意見なのか価値観なのか?を見極めることが大事。
メディアリテラシーを高める。
親の問題なのか?子どもの問題なのか?
カテゴライズすることで安心することもある。
普通を目指さない!!!!
感想
めちゃくちゃ頷きすぎて首がもげた…。
全員ユニークなんですよね。唯一無二。
唯一無二を育ててるのに、なんで、みんなそんなに比べるんだろう?
インフラ整って、隣の芝生をいい意味で沢山見られるようになったからかな。
もう時代の流れは仕方ない…!原因をごちゃごちゃ言ってても始まらない。
親が輝けば子どもが輝く。本当にそれだなと思う。
親が輝くためには、どうしたらいいの?
親自身がどうやって生きていきたいのか?どういう才能があるのか…?
それを自分自身でわかってる…?
それを探るのが、自己理解。
自己理解して、私は、変わりました。自分の人生を生き始めました。
すると子どもが、自分から勝手に成長し始めました。
知的障害がある長女は自分でお弁当作ってスクールに通っています。
感覚過敏の次女は、自分がやりたいことに没頭するようになりました。
2人の成長を見守るには、私が私に還る過程が必要でした。


