赦し、信じて、手放すブログ

自己理解コーチ/アドラーELMリーダー/言語聴覚士/小5双子の母。助けてと言えずうつ病⇒どこを助けてほしいかわからない⇒自己理解⇒他者理解⇒世界で1番幸せな母。 教育に自己理解を組み込むビジョンを掲げている八木仁平さんに共感し自己理解コーチとして邁進中。 全人類に本物の自己理解を。

子どもが幸せに生きるには?

毎日お疲れ様です!

課題の分離できてますか!?

今日は、子どもが幸せに生きるには何が必要か?についてお話します。

 

 

普段こんな風に思ってませんか?

子どもには幸せになってもらいたい…

そのためならば自分が犠牲になってでもなんでもする。

子どもの幸せのために私に何ができる?

 

これを学べば…

子どもと自分、家族、周りの人が幸せになれる。

子どもの幸せのために何をすべきかがわかる。

人生を余すことなく楽しめるようになる。

 

そんなあなたを想像してみてください(^^♪

ワクワクしませんか!?

 

早速、始めていきましょう!

 

子どもが幸せに生きるには?

結論

ママ自身が肯定されること。

 

ポイントは3つです。

①ママ自身の存在の肯定。

②子どもへの勇気づけ方法。

③子どもを信じ続けること。

 

はい、では、それぞれについて説明しますね。

 

①ママ自身の存在の肯定。

ブログの記事を読んでいただいた方もいると思いますが、もう一度復習しましょう。

 

皆さんは、自己肯定感の定義、ご存じですか?

自己肯定感の定義は、何もできない自分でも、ありのまま…自分を無条件に受け入れ、愛することです。

存在自体を肯定することです。

 

たとえば、働いている人が『お客様に喜ばれて自己肯定感が上がった』と言った時や、母親が『私なんて栄養満点の料理作れないから、自己肯定感低いと思う』と言った時、それは、自己肯定感という言葉の意味を勘違いしていると言えます。

 

お客様に喜ばれて上がるものは、『自己有用感』。

自分は世間で求められているような行動ができないと下がるものは『自己効力感』。

 

そう。

多くの人は、自己有用感や自己効力感と、自己肯定感の定義を勘違いしているのです。

 

たとえば、子どもに『テストで100点取れたんだね!!すごーい!!』『お手伝いしてくれてありがとー^^嬉しいー』などと声をかけるのは、自己有用感や、自己効力感を育てていると考えてみましょう。

 

自己肯定感を育てるには、何もしていない時に、『愛しているよ。産まれてきてくれてありがとう』と伝えることだということです。

 

自己肯定感が低く、自己有用感や自己効力感を高めると地獄

自己肯定感が低く、自己有用感や自己効力感だけが高い状態を想像してみましょう。

 

参考文献の一部をご紹介します。

”自己肯定感の低さを自己有用感、つまり人の役に立つことで補おうとするとどうなるか?

ありのままの自分が嫌いな状態、ありのままに価値がないと思っている状態でこんなダメな自分は人の役に立つことでしか価値がないと思い、自己有用感を高めようとする場合、自分が本当にやりたいことややりたくないことの線引きができず、本当はやりたくないことさえ引き受けてしまうことになる。

誰もがやりたくない仕事、本当は自分もやりたくない仕事を『ありがとう』と言ってもらいたいがためにどんどん引き受けてしまう。

自分にとって大切なことを大切にできない状態で、自己犠牲に走ってしまう。~中略~ 

自己肯定感の低さを埋めるために自己有用感を高めようとしている時は、他人にも自己犠牲を期待してしまう。

『自分はやりたいことを我慢してこんなに人の世話をしているのだから、あなたもおなじようにしなさい』と押し付けてしまう。

また他人の幸せを心から喜ぶことができない。

 

母親の自己肯定感が低いことで、子どもにも家族にもその自己犠牲を押し付けてしまい、それが叱ったり、怒ったりする結果になっている…ということ。

 

 

私の友人の話をしますね。

友人のお子さんは中学生。

最近、背中を骨折してしまい、重いものが持てず、学校まで友人が鞄を持って、送って行っているそうです。(ゆっくりなら歩ける様子)

学校でも色んな人が心配してくれ、家でもお風呂で身体を洗うのに介助が必要なため、友人が一緒にお風呂に入ってあげていると。

そこまで話した友人が言いました。

なんか、今の子ども見てるとイライラするんだよね…、皆にチヤホヤされて、私はできないから~って甘えて、私は特別なのよってアピールして…毎日ニコニコしてる。』と話していました。

もしかしたら、この友人の自己肯定感が低く、子どもに『私が大変な想いをしてるのに、あなたは幸せそうで許せない』と感じているのかもしれないと思いました。

 

親の自己肯定感が低いと、子どもが幸せ(友人のお子さんの場合は、身体は幸せではないのですが、精神的に幸せそうですよね)になっても素直に喜べないのです。

子どもの幸せを考えているはずが子どもが幸せになった途端に、『私の我慢の上に成り立ってるんだから!!』と憎しみに変わってしまう…。

そんな悲しいことがありますか?

 

親の自己肯定感の高さが、子どもにも影響することが理解いただけましたか?

 

比較することで、子どもの選択権を奪う

子どもを自分が子どもの頃(20~30年ぐらい前の自分)と比較するのも、この一例だと思います。

『自分が子どもの頃、好きなものは買ってもらえなかった…だからこそ想像力が培われた。子どもにも想像力を培うため買わないでおこう。』

『自分が子どもの頃、勉強やらされて苦しかった…けど、いい大学いけた。子どもにも、勉強させなきゃ。』

 

子どもに選択肢がないのは、ただの押し付けです。

子どもにとって、地獄です。

 

子どもが幸せに生きるには…

子どもに選択肢を与え、対話を重ね、勇気づけをし、失敗を許す。

子どもの幸せを心から喜べる。

それができるのが、自己肯定感の高い親ということです。

(対話の方法は、アドラーの実践編で実施します)

 

②子どもへの勇気づけ方法

勇気付け

アドラーの続きになりますが、『勇気づけ』という言葉をお伝えしたいと思います。

 

勇気づけとは、『子どもが自分には能力があると思うこと』『人々は私の仲間だ』と育児の心理的目標に向かって援助することです。

 

この心理的目標はパセージ(アドラーの心理学の考えに基づいた育児プログラム)で最も重要な目標だとされています。

 

子供はこの『子どもが自分には能力がある』『人々は私の仲間だ』と育児の心理的目標、この2つが達成されたのちに、行動面の目標『社会と調和して暮らす』『自立する』を達成できるという考え方です。

 

 

たとえば、前回の子供が靴が履けない状況で考えてみましょう。

 

どうやって勇気づけをするのでしょうか?

 

もしも、子どもが『ママ~できないよ~』とヘルプを出した時、まずその場で見守っていたかどうかですよね。

できない時に、親が見守っていない状況では、なかなか子どもは『できない…』に直面するだけで、助けを求めようとはしません。

これでは、先ほどの心理的目標が達成されませんね。

その場で見守っているというのも、立派な勇気づけになります。

 

 

そして、ヘルプを出されて初めて、手出し口出しをします。

『靴を両手で持つことはできたんだね!あとは、こうやったら、やりやすいかもね?』手を添えて、援助してもよいでしょう。

アドバイスを受けて初めてできた時に子どもは、『あ、自分はこうやってやればできるんだ』ということに気づくかもしれませんね。

そして、『ママは、助けてくれる。僕の仲間だ』と思うかもしれません。

 

勇気くじき

勇気づけの逆に『勇気くじき』という言葉があります。

 

先ほどの例でいうと、『ほら~早くいくよ。』といって、助けを求めていないにも関わらず、勝手に親が靴を履かせるという状況はまさに、勇気くじきです。

 

『僕はできないんだ』『ママは、僕のことわかってない…』と言葉にならなくても、このような事が続けば、そんな風に思ってしまうかもしれませんね。

 

基本的には、手出し・口出しをせずに見守って、ヘルプを言えたら手出し口出しをする。

(ヘルプの言い方が難しければ、ヘルプの出し方も教えてあげる。)

そして、自分で少しでもできた時に、『できた!』と感じさせること。

そういう経験の積み重ねで『自分には能力がある』と信じられるのです。

 

 

発達障害児は、感覚の凸凹があるために、このようなできた!を感じる経験が少なくなる…と私は思います。

さらには、そこに『発達障害児』というレッテルが貼られ、『この子は周りの子よりもできないことが多いのだ』という先入観が親にはあるでしょう。

そういう先入観が、勇気くじきの根底にあるのではないかなと思いました。

 

その子のできる・できないを見極めて(時にはハードルを下げて)、できた!の回数を増やせるかどうかが、私達発達っ子の親の役目かなぁとパセージを学んで思いました。

 

 

 

③子どもを信じ続けること。

親の自己肯定感が高い状態であれば、子どもの幸せを心から喜べるようになるということはわかりましたか?

 

子どもがたとえワガママでギャーギャー言っているとしても、

自分の自己肯定感が高い場合、自分もOK,相手もOKと、赦(ゆる)せるようになります。

存在Beingを否定せず、素晴らしいものである。Beingは変化しない。

そして、人のHavingやDoingは変化するものである。

 

子どもの存在は変わらずに、祝福されている。

しかし、子どもの行動は変化するものであると信じ続けること。

 

どんなに沢山失敗や過ちを犯したとしても、対話を繰り返し、失敗を失敗として捉えず次への成功の種として捉える。

そうやって信じ続けられた子どもは間違いなく『幸せ』なのではないでしょうか。

 

 

ここまで、読んでくださり、本当にありがとうございます!!!!

 

 

最後にもう一度ゲシュタルトの祈りを声に出して読んでみてください。

『私は私の人生を生き、主人は主人の、子どもは子どもの、それぞれの人生を生きる。

私は、主人、子どもの期待に応えるために生きているのはではないし、周囲の人も私の期待に応えるために生きているのではない。

私は、私。

主人は、主人。

子どもは、子ども。

もし縁があって、私達が互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

しかし、出会えないのであれば、それも仕方のないことだ。』

 

どうでしょうか?

あなたの人生を、あなた自身が歩むことの決断ができましたか?

子どもの人生は歩めない、あなたが人生を謳歌せずに誰が謳歌しますか?

 

覚悟を決めましょう。

あなたは世界で一番幸せになると。

 

 

参考文献;

鋼の自己肯定感 ~「最先端の研究結果×シリコンバレーの習慣」から開発された“二度と下がらない”方法

鋼の自己肯定感 ~「最先端の研究結果×シリコンバレーの習慣」から開発された“二度と下がらない”方法

幸せになる勇気

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