双子・発達障害児の育児ブログ

8歳双子(女女)育児中の専業主婦です。自閉症スペクトラム、知的障害の我が子達の様子や施設の口コミ、書評などのブログです。よろしくお願いします。

アドラーの心理学のまとめ

今日から、数日間かけて、皆さんにアドラーの心理学を学んでいただこうと思います。

 

 

 

心理学の大まかな分類

心理学の三大巨頭『フロイト』『ユング』『アドラー』。聞いたことある…って方も多いと思います。

 

フロイトは『原因論』を提唱しました。

過去や環境が原因で今、不幸せな今があるという考え方です。

お金がない…、障害児を育てなきゃいけない…などの理由があって、不幸と感じる今があるということを提唱しています。これは、そうだって理解できますよね?

 

 

『アドラーの目的論』

アドラーはフロイトとは逆の考え方で、『目的論』を提唱しました。

怒りや劣等感や悲しみなどの今の感情は、過去のせいにしておこう。立派な理由(目的)を作りたいから、過去を持ちだしているんだ。という考え方です。

今、あなたが『不幸だ』という世界観を持っているのは、自らの手で『不幸であること』を選び、『お金がない』『障害児を育てなきゃいけない』っていう理由(目的)を作っている。という理論です。

 

そう、アドラーは悲観的な”性格”とは捉えず、悲観的な”世界観”を持っていると解釈しています。

 

 

待て待て…理解できないぞ?って方いらっしゃいますよね…。

 

 

その理由(お金がないから。障害児の世話をしなきゃいけないから。)は傷ついた自分を守ってくれますよね。きっと周りは『それは不幸って思っても仕方ないよね』って思ってくれるでしょう。あなたはそれを望んでいませんか?意識していなくても、無意識にそんな風に思っているのです。

 

 

そんなことない!私だって幸せになりたい!!

でも…

 

 

何でしょうか?

今、理由を言おうとしましたよね?

 

でも、何が理由でしょうか?あなたはその理由を持ち出して、不幸な自分という選択肢を選んでいるのですよね?

 

 

選んでない!!思ってない!!だって理由があるから不幸なんだ!!

と思いましたか?

 

 

不幸な自分でいたほうが…今の生活を続けた方が…キープした方がラクですよね。

今の生活を脱して、違う環境になるのが怖いって思っていませんか?

または、口では『あ~理想の生活をしたいなぁ…』と言いつつ、理想の生活をすることで、何か逆に手放さねばならないものだったり、不都合が生じたりするので、理想だけど、叶わないって無意識に思ってしまっている時もあります。

【だから】理由をつけるんです。

 

 

私も、数年前までは思っていました。

・双子育児で壮絶…【だから】私は好きなことができない。

・旦那は育児に協力的ではない【だから】私がやるしかない。

・お金がない【だから】満足できない。

 

さて、アドラー的に考えてみましょう。

 

好きなことができない今に、育児という正当そうな理由を持ち出しています。

好きなことをやろうという勇気が私にはなかったのです。

幸せになってやるっていう勇気がなかったのです。

それを周りに説得する自信も、何もかもなかったから。

母は育児をやるべきだ…っていう固定概念があったから。

 

私がやるしかないという状況に、育児に非協力的な旦那さんという理由を持ち出していますね。言い訳ですよね。

私は、誰かに頼ることをしていなかったのです。

誰かに頭を下げる勇気すらなかったから一番身近な何でも言える旦那という理由を持ち出したのです。

 

 

満足できないという状況に、お金がないという理由を持ち出しているのです。言い訳ですよね。自分が満足する状況が全く具体化されてなかったのです。ぼんやり満足という言葉を使っておけば自分が非難されることもないと思っていたのです。

 

(ちなみに、この『だから』『でも』『だって』『どうせ』『だったら』などの言葉をD言葉と言います)

 

当時の私はできない理由(原因論)を常に考えていたんです。

 

しかし、アドラーの心理学は違います。

アドラーの心理学は、今のあなたに過去は関係ないと断言しています。

アドラーは常に未来に目が向いています。

 

・双子育児で壮絶…【それで?私はどうしたいの?】好きなことしたい!!

・旦那は育児に協力的ではない【それで?私はどうしたいの?】協力し合ってまたは外注して、育児を楽しみたい!

・お金がない【それで?私はどうしたいの?】お金が全てか?本当にお金はないのか…把握してないから把握しよう。

 

こう考えていくと、未来志向になっていくのがわかりませんか?

 

 

アドラーは言いました。

【人は変われる】

【誰もが幸福になれる】

私は、このアドラーの心理学によって変わりました。

この考え方を勉強することで、きっと、優しい世界が広がるのではないかなぁ…と思っています。

 

 

さて、目的論が理解できましたでしょうか?

もし、『よくわからない…』って方も、とりあえず、読み進めてみてください。読み進めていくうちにもしかしたら、点と点が繋がるかもしれませんので。

 

(ちなみに、目的論はもちろん、原因論もメリットがある時があります。

たとえば、医療の現場で働いている人は、『今、この状況になったのはなぜか?』と過去をを突き詰める作業をよくしています(ヒヤリハット)。それは、次のトラブルを減らすためだからです。ですので、原因論は、リスク管理にとても役立つ心理学なのです。)

 

 

課題の分離

さて、次に課題の分離の話にいきたいと思います。

課題の分離とは、ある出来事の問題(課題)にどう取り組み、どう解決するか、その結末が誰の身に降りかかるのかを考えて、課題分けをする(分離する)作業のこと。と示されていました。

 

具体例を見た方が早いので、例を見てみましょう。

 

玄関で子どもがなかなか靴が履けない状況があるとしましょう。

 

さて、ここで問題です。

子供がなかなか靴が履けない…さて、この出来事が続いた場合、誰が困ることになるでしょうか? 

 

…そうです!子どもです!

 

ですので、この『靴が履けない』という課題は、『子どもの課題』というのはわかりますよね?

 

 

ここで、もし大人が『ほら~早くいくよ』と言いながら、靴を履かせたとしましょう。

 

これは、アドラー的に言えば、『子どもの課題に介入している。土足で踏み込んでいる』という状況だそうです。

 

 

でも…いつまで経ってもできないでしょ??親がやるしかないじゃない。

そうなんです、できないことが多い障害児。そう思うのも無理はありません。

 

勇気づけ

ここで、勇気づけという言葉をお伝えしたいと思います。

 

勇気づけとは、『子どもが自分には能力がある』『人々は私の仲間だ』と育児の心理的目標に向かって援助することです。

 

この心理的目標はパセージ(アドラーの心理学の考えに基づいた育児プログラム)で最も重要な目標だとされています。

 

子供はこの『子どもが自分には能力がある』『人々は私の仲間だ』と育児の心理的目標、この2つが達成されたのちに、行動面の目標『社会と調和して暮らす』『自立する』を達成できるという考え方です。

 

 

さて、ではさきほどの例でみてみましょう。

 

 

子供が靴が履けない状況です。

 

どうやって勇気づけをするのでしょうか?

もしも、子どもが『ママ~できないよ~』とヘルプを出した時、まずその場で見守っていたかどうかですよね。できない時に、親が見守っていない状況では、なかなか子どもは『できない…』に直面するだけで、助けを求めようとはしません。

これでは、先ほどの心理的目標が達成されませんね。

 

そして、ヘルプを出されて初めて、手出し口出しをします。

『靴を両手で持つことはできたんだね!あとは、こうやったら、やりやすいかもね?』手を添えて、援助してもよいでしょう。

アドバイスを受けて初めてできた時に子どもは、『あ、自分はこうやってやればできるんだ』ということに気づくかもしれませんね。そして、『ママは、助けてくれる。僕の仲間だ』と思うかもしれません。

 

勇気くじき

勇気づけの逆に『勇気くじき』という言葉があります。

 

先ほどの例でいうと、『ほら~早くいくよ。』といって、助けを求めていないにも関わらず、勝手に親が靴を履かせるという状況はまさに、勇気くじきです。

 

『僕はできないんだ』『ママは、僕のことわかってない…』と言葉にならなくても、このような事が続けば、そんな風に思ってしまうかもしれませんね。

 

 

基本的には、手出し・口出しをせずに見守って『できた!』と感じさせること。そういう経験の積み重ねで『自分には能力がある』と信じられるのです。

 

発達障害児は、感覚の凸凹があるために、このようなできた!を感じる経験が少なくなる…と私は思います。さらには、そこに『発達障害児』というレッテルが貼られ、『この子は周りの子よりもできないことが多いのだ』という先入観が親にはあるでしょう。そういう先入観が、勇気くじきの根底にあるのではないかなと思いました。

 

その子のできる・できないを見極めて(時にはハードルを下げて)、できた!の回数を増やせるかどうかが、私達発達っ子の親の役目かなぁとパセージを学んで思いました。

 

 

課題の肩代り

さて、次に課題の肩代りという言葉を説明しておきます。

 

たとえば、子どもに宿題をさせたい親がいるとします。

ここで考えてほしいのですが、たとえば勉強をしないで将来困るのは誰でしょうか?

 

そうです。子どもです。

 

勉強をするということも『子どもの課題』であって、親の課題ではないことを十分に理解しましょう。

 

ここで、親の課題について考えてみましょう。

親は

『将来困らないように勉強させたい』

『宿題忘れたら、先生になんて言われるか』

『宿題忘れたら、他の子に追いつけない』

と思っているでしょう。

この気持ちを処理するのは、『親の課題』です。子どもの課題ではないことはわかりますよね?

 

しかし、この親の気持ちを押し付けて、(『勉強についてわからないよ、教えて』と言われていないにも関わらず)子どもに無理やり勉強させたとしましょう。

『勉強をさせたい』という課題は解決したように見えますが、親が自分で解決したのではなく、子どもに代わりに解決させているのです。さらにはこれが『子どものためよ』というのです…宿題をやらせたいのは『親が安心したいから』ですよね?それは、自己欺瞞である…とアドラーは訴えます。

 

あくまでも、勉強は『子どもの課題』なのです。それを放置して将来困るのは『子ども』なのですから。それをまず、頭に入れておきましょう。 

 

共同課題

そんなこと言っていたら、全てが子供の課題じゃないか!!!

そう思いましたよね?私も本を読んでいて、そう思っていました。

 

ここで、親と子の共同課題も存在するということを説明しておこうと思います。

 

1、子どもから親に何かを頼んできた時

2、子どもの行為の結果、親に迷惑を被った時

3、子どもの人生に重大な悪影響がありそうな時(喫煙、飲酒、犯罪につながりそうな行為)

 

これらの課題は、親子で立ち向かうべきだということです。

 

できることは、『対話』です。

まず、課題の分離を考えましょう。そして、目標の一致ができているかどうかを話し合います。『~をやってみよう』とお互いが思えた場合のみ、共同課題となりえます。

目標が一致しない場合は、自然の結末(のちほど説明します)を体験するのみです。

 

 

ここで注意すべきは、”話し合いたい”という気持ちは『親の課題』ですよね。

子どもに『今、~について、お話してもいい?』と聞いた時に『いいよ』と言わない場合は、引き下がる勇気を持ちましょう。

 

 

自然の結末

目標の一致ができずに共同課題になりえなかった場合のお話をします。

 

子供は親の手を借りずに自分のやり方でやってみようと決心した時、もしかしたら失敗で終わる可能性がありますよね。

しかしここで失敗しても『私は自分で考えて自分で決める能力がある』『いつもと違っても、任せてくれたママは私の仲間だ』という気持ちが湧いてくるでしょう。

 

ここで、失敗を危惧して『そんなのやめなさい』と勇気くじきをした場合、子どもは失敗を恐れて臆病になったり、反抗的になったり、親の言う事の反対の行為をするかもしれませんね。

 

 

自然の結末に任せてはいけないこと

自然の結末に任せてはいけない4つのことがあるので紹介しておきます。

 

1、子どもの身に危険が及ぶ場合

道路を自分の考えて渡っていて、子どもの課題だから判断に任せよう、自然の結末に任せようと思ったら、当然死んでしまいます。命の危険性がある場合は、なんらかの方法で、子どもの行動を阻止するべきです。

 

2、結末を体験することが勇気くじきになる場合

自然の結末に委ねすぎて『自分には能力がない』『人々は皆敵である』と感じてしまう場合は、親と子の共同課題を設定したほうがよいでしょう。

 

3、子どもに結末が返ってこない場合

スーパーで走り回る、他の人の迷惑になる場合、子どもと共同の課題を設定して解決していきます。

 

4、子どもが行為と結末の関係を理解できない場合

これをするとこういうことになるという因果関係が理解できていない場合。 

 

一般的に、自然の結末に任せるのは、だいたい小学校上がってからと言われています。

それまでは、自然の結末に任せずにどうやったらいい結果が出せるかサポートしていくことが優先です。

 

↑知的障害などでIQが低い場合これに当てはまると思います。因果関係が理解できていない場合は、自然の結末から学べないので、親の援助量は増えていくと思います。

 

 

感情は手段(道具)である

親の怒りと褒めるということについて話したいと思います。

 

アドラーは、人は皆、横の関係であると説きました。

親子は、上から下の縦の関係ではないということです。

 

たとえば、『よくできたね!すごいね!』これは、上の存在から下の存在にかけられる言葉だということはわかりますか?

たとえば、自分と同じ世代の人に『よくできたね!すごいね!』って言わないですよね?

 

そして、叱ったりすることもそうです。

叱るということは、相手を自分の意のままに従わせたいのです。その怒りの感情を処理するのは親の課題です。親が伝えたいメッセージを掬い取るか取らないかは『子どもの課題』です。

 

ですから、叱ったり、極端に褒めたりということは必要ない…とアドラーは言います。

 

存在自体を肯定する

私たちは、子ども達がお手伝いした時に『~できてえらいわね~』と言いがちですよね…。アドラーは人を行為のレベルで見るなと言います。

 

その人が何をしたか?ではなく、存在レベルで見ていくと存在しているだけで役立っているんだということに気づくことができます。

 

保育士さんがよく『〇〇ちゃんがいてくれてよかった~』と言って褒めるのは存在を肯定しているんだなぁと私の中で腑に落ちました。

 

行為レベルで見ていくと、子どもの理想像を勝手に作り上げる危険性があります。『ここまでできるだろう』と考えて、できないと、マイナスのように感じてしまいます。

 

しかし、存在レベルで見たらどうでしょうか。ありのまま我が子が誰とも比べることなく、そこにいてくれる喜び、感謝していくのです。減点されずに、ゼロから出発できるのです。

 

  

 

長くなってしまいました…すみません…。

アドラーの心理学が少し頭に入ってきましたか??

 

 

ここまで、読んでくださり、本当にありがとうございます!!!!

 

最後にこれを声に出して読んだみてください。

『私は私の人生を生き、主人は主人の、子どもは子どもの、それぞれの人生を生きる。

私は、主人、子どもの期待に応えるために生きているのはではないし、周囲の人も私の期待に応えるために生きているのではない。

私は、私。

主人は、主人。

子どもは、子ども。

もし縁があって、私達が互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

しかし、出会えないのであれば、それも仕方のないことだ。』

ゲシュタルトの祈りを少し改変してみました。

課題の分離が、ここに詰まっていますね。

 

 

 

参考文献;

嫌われる勇気

嫌われる勇気