双子・発達障害児の育児ブログ

6歳双子育児中の専業主婦です。妊娠期~幼稚園に入ってからの様子を発信します!

アドラーの心理学『幸せになる勇気』

前回のアドラーの心理学の続きになります。

 

今回も、子育てにフォーカスしながら、アドラーの心理学を説いていこうと思います。よろしければお付き合いください。

 

さて、今日解説するのは、こちらの書籍です。

幸せになる勇気

幸せになる勇気

 

前回の復習

前回の記事は、主に『課題の分離』『勇気づけ』などのお話をさせていただきました。少し復習しておきましょう。

 

課題の分離とは、その出来事を放置した場合、将来的に困るのは誰か?を考える作業でしたね。

子供が自分で靴が履けないという事象は、『子どもの課題』でした。そして、子どもから助けを求められたり、親に被害が及ぶことに関しては、『親子の共同の課題』になりえるというお話もしました。

 

さて、今回は『幸せになる勇気』です。この本は、親である私達に向けて書かれているような一冊だなと私は感じました。

 

1、教育に叱ること、褒めることは必要ない。

アドラーは人間はみな横の関係である。褒める、叱るという行為には、自然と縦の関係を形成しています。

叱る、褒めるをするとどのようなこと(問題行動)が起こりえるか…アドラーは5つの段階があると説きます。

 

2、縦の関係を続けた場合の弊害

①賞賛の要求

子供を褒めると、子どもは『もっと褒めてほしい』という感情になります。逆に言えば、褒めなくなると途端にやる気を失くしてしまうのです。大人が見ていれば、床に落ちたゴミも拾うでしょう。しかし、褒めてもらえない状況でこのような子ども達はゴミを自発的に拾うでしょうか。

 

賞賛は、競争を生みます。競争原理は、敵を作ります。子ども達は、他者を『敵』と認識するようになります。『この人に勝つ』という目的を持った瞬間、状況は一変してしまうのです。

ティール組織の時代の変容の中の『オレンジ』を指しているのではないかと思います。

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これらは、パセージ(アドラーの心理学を用いた育児)の育児の心理的目標『子どもが自分には能力がある』『人々は私の仲間だ』に反することになります。

 

先ほどのゴミを拾う例を見てみると、『人々は私の仲間だ』『自分には能力がある』と感じている子どもは、きっと誰も見ていなくてもゴミを拾うようになるでしょう。

 

②注意喚起

賞賛の要求が却下された場合、何かアクションを起こしても褒められないとわかった子ども達は、次に何をすると思いますか?

褒められなくても、どうにかして、大人に注目してもらおうと考えます。何か悪いことでも目立つことをして大人の目をこちらに向けさせようとします

 

③権力争い

賞賛も、大人の注意も向けることができない子ども達は何をするでしょうか?次に考えられるのは、反抗です。親や教師を罵ったり、万引きや喫煙に走る子どももいます。これらに対して、親が怒ることは『子どもの思うつぼ』ということになります。怒ることで、権力を子どもに与えることになります。法にふれることであれば、それなりの対処をし、それ以外の場合は、怒りでなく、彼らが思うツボに入らぬよう同じ土俵から一度退場して、対話をすることです。

 

④復讐

権力争いでも歯が立たない、勝利を収めることができなかった場合、子供は一度引き下がった後に、復讐を画策します。かけがえのない私を認めてくれなかった、愛してくれなかった…いっそ憎悪という感情の中で注目してくれと思うようになります。憎まれることを願うようになります。ストーカーや自傷行為、引きこもりはこれの一部です。これらは、親への復讐として行っていることが多いというのです。

 

⑤無能の証明

復讐もうまくいかない子供はどうなると思いますか?人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分には何も解決できないと信じ込むことになります。自分は無能だから何も期待しないでくれ、構わないでくれ…と人生を放棄するようになります。

 

大人でも時々このような人…見かけますよね。このような行為をしている人達は、根底に『周囲の人間から縦の関係で育てられた』ということが見えてきます。

 

3、子どもはやり方を知らないだけ

たとえば、子供が喧嘩してお友達に手をあげてしまったとしましょう。子どもは、言葉だけで解決する方法を知らないから、暴力になってしまうのです。

 

ということは、大人がやることは、なんでしょうか?

 

『なぜ叩いたの?』と問い詰めるのではなく、『〇〇って言えばわかってもらえたかもしれないね』というように未来志向の声掛けをしていく必要があります。

 

4、大人が怒鳴ったり、子どもを従わせたいという気持ちの裏には

子供たちとの言葉でのコミュニケーションを放棄し、または煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、大人は怒鳴ったり、『早くしなさい!』というような言葉を使うのです。

 

子どもが幼稚園に遅刻しそうな時や子供がお友達とトラブルを起こした時のことを考えてみましょう。

 

先生からちょっと冷たい目を向けられ(るような気がする)、今日の状況を報告された時、責任を問われる立場にあるのが親です。親としての責任です。

さあ、私達人間は、この親の責任から逃れるために何をすると思いますか?

 

子供を縦の関係に置くのです。子どもを自分の支配下に置いておくのです。縦の関係に置くことで、子供が表面的いい子になり、親に迷惑をかけなくなります。褒めて叱って…いい子を育て上げ、親の責任から逃れようとしているのです。

 

すべては、親自らの保身のためです。

課題の肩代りをさせ、褒めたり叱ったりすることで、縦の関係を維持しなければ、親の責任を問われる場面が多くなってしまうからです。

 

私自身も自分の行動を振り返ると、自分の保身のために課題の肩代りさせている場面が多いなぁ…と感じました。

たとえば、冬の洋服選び。子どもが風邪を引くと、親はとても労力を奪われます。ですので、どうにかして子どもに風邪を引いてほしくなく、有無を言わさず、冬は結構厚着させていました。しかし、それでは子ども自身が『冬に薄着していると風邪を引いてしまうんだな』という気づきの芽を摘んでしまっていたのかなと思います。そして、何より『自分には(洋服を自分で決めるという自己決定)能力がある』『人々は私の仲間だ(ママは自己決定を後押ししてくれる存在)』と感じられませんよね。

 

5、親は、子供の課題を見極め、子供の自立を掲げるべきである

私の子育ては間違っていたのか…?

私自身この本を読んで、考えさせられました。

 

子どもには『自分で決めていいんだよ』と教えること。自分の人生は日々の行いはすべて自分で決定するものだと教えることが重要です。そして、決めるにあたって必要な材料やたとえば知識や経験があれば、それを提供していくこと。それが親の役割であるとアドラーは説きます。

 

私は、この一文を読んで『学校に行くこと』も子ども自身に決めてもらおうと思い、実行しています。我が子たちは、今日は行く・行かないを自分で決めています。(私が専業主婦だからできることですが…)

現在、学校は『教育機会確保法』により自宅でもどこでも学習してもよいという法律ができています。学校には行くべきだという風潮に流されなくてよいのです。

 

こんなに大きなことでなくてもよいのです。『自分が何を食べるのか』『何を着るのか』も子どもの課題ですよね。

少し前に記事にしたので、そちらもよろしければ。

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まずは、子供が選んだ服に口出ししないように気を付けよう…と心に決めました(笑)

口出ししたい時は、『ちょっと今日のお洋服についてお話してもいい?』と共同課題にしてから話そうと思います。

 

6、人間の抱えるもっとも根源的な欲求は所属感である

人間は、1人では生きていけません。ですので、孤立したくない、ここにいてもいいんだと実感したいという欲求が根本にあります。ここにいてもいいんだと手っ取り早く実感するためには、他者から褒めてもらい承認されること。

 

しかし、その承認には終わりがありません…。その欲求に溺れてしまえば、永久に、他者からねじを巻いてもらうようなゼンマイ仕掛けの人形とさほど変わりなくなってしまうのです。

 

 

自分のことが嫌いで、自分にしか目が向いていない人は、仕事を通じて所属感を得ようとします。仕事をしていれば、『お給料』が得られ、『上司やお客様からの賞賛』が得られるからです。自分が磨き上げられたかのように、自分がここにいてもいいような…そんな気がしてしまうのです。

しかし、仕事で認められるのは人の『機能』であり、『その人自身』ではありません。仕事では、もしもその人よりも優秀な人が出てくれば、その人に変更も可能なのです。

 

7、自らの意志で自らを承認する

他者からの承認を根源として生きていては永久に『自立』できません。そして何より他人軸で生きているため、どこかで絶対に苦しくなります。

 

ありのままでも、そのままの私でも、優れていなくても、自分の居場所はここにある。普通である自分を受け入れる勇気を持つべきではないか

 

誰かにゼンマイを巻いてもらわずとも、『自分には能力がある』『自分は誰かの役に立っている』と主観的な感覚さえあれば、その中で喜びを見出すことでできればいいのではないか…とアドラーは言います。

 

8、メイサイヤコンプレックス

他者を救うことで、自分が救われようとすることをメイサイヤコンプレックスというそうです。私は、この1文を読んで、ハッとしました。

障害児を育てる母として、障害を持っている子どもを救おうとして…意識的にではなくとも、無意識に、そんな風に誰かの中に自分の存在を植え付けて、自分の存在を輝かせようとしていたのかもしれないと思いました。

 

時々振り返らないと、こうやって傲慢な母親になっていそうで、とても怖いですね…。自分の人生の責任は自分で取っていかねばなりませんね。

 

9、最良の別れに向けた不断の努力を続ける

最愛の子ども達とは、いつか別れが来ます。その時が最良なものになるために、今、ここを真剣に生きること…それが、私達ができることです。

 

10、私と子ども達の最良の別れ。『信じてくれて、ありがとう』

この本を読んで、『親のおかげで…』と子どもに言わせたくないなと思いました。このようなことを言われた時には、私は子育てに失敗していると言ってもいいかもしれません。自分の人生を自分で決定してきた子供はきっと『私を信じてくれて、ありがとう』というのではないでしょうか。

 

 

 

またまたながーい時間を拘束してしまい、すみません…泣 読んでくださり、ありがとうございます。

あなたの中の経験と、この記事がカチっと合う瞬間がありましたでしょうか?そんな瞬間がありましたら、ぜひとも私に教えてください。お話したいです。

では、また。